クラブの紹介
会長のメッセージ
黒部ライオンズクラブ第63代会長に就任させていただき、光栄に感じています。今まで幹事、各事業の委員長などを担当させていただきましたが、会長として可能なかぎりできることを進めていきたいと考えております。
クラブスローガンは、「Just Do It(とにかくやってみよう)」としました。これは、いろんな関係団体の中でどうしても考えすぎてしまい、実行できなくなっていることがあり、それより失敗しながらでもいいから前に進めようと考えたからです。地域社会に対する人道奉仕活動「アクティビティ」が私たちライオンズクラブの特色です。献血、青少年育成、環境・福祉、国際交流など多岐にわたりますが、少しでも役に立てるような行動にしていきます。
クラブメンバーとの関係を深め、楽しみながらクラブ運営を行っていきます。世代が異なってもわいわいがやがやと話しながら進めていきますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
黒部ライオンズクラブ第63代会長に就任させていただき、光栄に感じています。今まで幹事、各事業の委員長などを担当させていただきましたが、会長として可能なかぎりできることを進めていきたいと考えております。
クラブスローガンは、「Just Do It(とにかくやってみよう)」としました。これは、いろんな関係団体の中でどうしても考えすぎてしまい、実行できなくなっていることがあり、それより失敗しながらでもいいから前に進めようと考えたからです。地域社会に対する人道奉仕活動「アクティビティ」が私たちライオンズクラブの特色です。献血、青少年育成、環境・福祉、国際交流など多岐にわたりますが、少しでも役に立てるような行動にしていきます。
クラブメンバーとの関係を深め、楽しみながらクラブ運営を行っていきます。世代が異なってもわいわいがやがやと話しながら進めていきますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
黒部ライオンズクラブの成り立ち
1956(昭和31)年4月、富山県下では初の国内では27番目の富山ライオンズクラブが産声を上げた。翌1957年3月には、後に黒部ライオンズクラブの創設を導くこととなる滑川ライオンズクラブが誕生した。
「やるまいか」を合言葉に滑川ライオンズクラブの初代会長藤谷玄雄氏は、同クラブのチャーターナイトに米屋喜一、堀川恒次郎(ともに歴代黒部商工会議所会頭)を招き、認証式典の熱気の中で地域の発展と社会貢献に結びつくライオンズ クラブをぜひ黒部地区にもと、創設を強く促した。
後に黒部ライオンズクラブの初代会長を務めることになる米屋は、「ライオンズは何か全く知らないで出席したが、用語は 英語が多く…… 黒部で結成することは容易ではないと感じた」が、「黒部、宇奈月両市町の発展のためになればと考えて、まず経済懇談を目的とした『黒部木曜会』を結成した」と、当時を回想して述べている。
この黒部木曜会が母体となり、黒部市と宇奈月町の経済人、産業人たちが討議を重ねるうちに、徐々に団体発足の機運が醸成されていった。そして、1961(昭和36)年1月、猛吹雪の中を開催された定例の木曜会において、当時の宇奈月町長・ 河内則一氏が「やるまいか」と一同を鼓舞し、設立に向けての舵が大きく切られたのである。
地域への周知やメンバー募集など、関係者の献身的な努力の結果、同年7月、「黒部ライオンズクラブ設立趣意書」、が発表された。黒部市長、宇奈月町長、黒部商工会議所会頭、地元有力企業の社長ら、錚々たる発起人が名を連ね、「世界につ ながる本クラブの誓いである、知性を高め』『友愛と寛容の精神を養い』『平和と自由を守り』『社会奉仕に精進する』の実践に努めたいと思います」と謳うその趣意書こそ、4年間の歳月をかけて目覚めた黒部ライオンズクラブから社会への最初の咆哮であった。
1956(昭和31)年4月、富山県下では初の国内では27番目の富山ライオンズクラブが産声を上げた。翌1957年3月には、後に黒部ライオンズクラブの創設を導くこととなる滑川ライオンズクラブが誕生した。
「やるまいか」を合言葉に滑川ライオンズクラブの初代会長藤谷玄雄氏は、同クラブのチャーターナイトに米屋喜一、堀川恒次郎(ともに歴代黒部商工会議所会頭)を招き、認証式典の熱気の中で地域の発展と社会貢献に結びつくライオンズ クラブをぜひ黒部地区にもと、創設を強く促した。
後に黒部ライオンズクラブの初代会長を務めることになる米屋は、「ライオンズは何か全く知らないで出席したが、用語は 英語が多く…… 黒部で結成することは容易ではないと感じた」が、「黒部、宇奈月両市町の発展のためになればと考えて、まず経済懇談を目的とした『黒部木曜会』を結成した」と、当時を回想して述べている。
この黒部木曜会が母体となり、黒部市と宇奈月町の経済人、産業人たちが討議を重ねるうちに、徐々に団体発足の機運が醸成されていった。そして、1961(昭和36)年1月、猛吹雪の中を開催された定例の木曜会において、当時の宇奈月町長・ 河内則一氏が「やるまいか」と一同を鼓舞し、設立に向けての舵が大きく切られたのである。
地域への周知やメンバー募集など、関係者の献身的な努力の結果、同年7月、「黒部ライオンズクラブ設立趣意書」、が発表された。黒部市長、宇奈月町長、黒部商工会議所会頭、地元有力企業の社長ら、錚々たる発起人が名を連ね、「世界につ ながる本クラブの誓いである、知性を高め』『友愛と寛容の精神を養い』『平和と自由を守り』『社会奉仕に精進する』の実践に努めたいと思います」と謳うその趣意書こそ、4年間の歳月をかけて目覚めた黒部ライオンズクラブから社会への最初の咆哮であった。
組織図
黒部ライオンズクラブの組織体系
334-D地区全体の組織体系
事務局
黒部ライオンズクラブ 事務局
〒938-0037
富山県黒部市新牧野103番地 ファーストビル2F
TEL.0765-54-1026
FAX.0765-54-1560