黒部ライオンズクラブ

クラブの紹介

会長のメッセージ

黒部ライオンズクラブ 会長
黒部ライオンズクラブ 会長
L. 石田 唯一

1961年9月26日、黒部ライオンズクラブは県内6番目のクラブとして、産声を上げました。結成当時は、黒部市と宇奈月町の 市町にまたがってのクラブ運営でしたが、未来を見据えていたかの如く、15年前の平成の大合併により現在は一つの市となっています。
この60年間、設立趣意書にある、「世界につながる本クラブの誓いである、『知性を高め』『友愛と寛容の精神を養い』『平和と自由を守り』『社会奉仕に精進する』の実践に努めたいと思います」(50年の歩みより)と謳われたこの思いは、60年経った今も連綿と我々に受け継がれており、これからの未来へも繋げられていく事でしょう。
しかしながら、1年半前、世界の風景は新型コロナで一変しました。我々の活動の中心「奉仕」は人との関わり無しでは行えない事が多く、各クラブの殆どのアクティビティが中止、例会や会食等で集まる事すら非とされました。この様な「ピンチ」な状況こそが次への「チャンス」を生み出すきっかけとなります。活動の停止が、事業の見直しをする時間を与えてくれ、今地域が求めている事が見えてきます。必要とされている継続事業は残し、そうではない事業は新規事業へ転換する機会を与えてもらいました。
私自身、小学生時代、富士吉原ライオンズクラブとの交換学生事業に参加し、富士山登山(人生この一度だけ)の経験をさせて頂きました。その年の冬には宇奈月にスキーで学生を招きましたが、当時雪不足の為、飛騨の流葉スキー場まで皆で行った事を、45年経った今でも鮮明に記憶しています。
時代と共に、ライオンズの事業が変化してきたのは当然です。黒部での青少年事業に限って言えば、今は2年に1度、薬物乱用防止教室等を行っている程度となりました。今後、当クラブを65年、70年、そして100年へと繋げていく中で、子供たちが笑顔で生き生きと過ごしている地域にこそ、輝く未来が待っています。
我々黒部ライオンズは、当地に「夢」と「希望」を与え続けられるクラブとして、今後も「記憶」に残る奉仕を提供していきます。


1961年9月26日、黒部ライオンズクラブは県内6番目のクラブとして、産声を上げました。結成当時は、黒部市と宇奈月町の 市町にまたがってのクラブ運営でしたが、未来を見据えていたかの如く、15年前の平成の大合併により現在は一つの市となっています。
この60年間、設立趣意書にある、「世界につながる本クラブの誓いである、『知性を高め』『友愛と寛容の精神を養い』『平和と自由を守り』『社会奉仕に精進する』の実践に努めたいと思います」(50年の歩みより)と謳われたこの思いは、60年経った今も連綿と我々に受け継がれており、これからの未来へも繋げられていく事でしょう。
しかしながら、1年半前、世界の風景は新型コロナで一変しました。我々の活動の中心「奉仕」は人との関わり無しでは 行えない事が多く、各クラブの殆どのアクティビティが中止、例会や会食等で集まる事すら非とされました。この様な「ピンチ」な状況こそが次への「チャンス」を生み出すきっかけとなります。活動の停止が、事業の見直しをする時間を与えてくれ、今地域が求めている事が見えてきます。必要とされている継続事業は残し、そうではない事業は新規事業へ転換する機会を与えてもらいました。
私自身、小学生時代、富士吉原ライオンズクラブとの交換学生事業に参加し、富士山登山(人生この一度だけ)の経験をさせて頂きました。その年の冬には宇奈月にスキーで学生を招きましたが、当時雪不足の為、飛騨の流葉スキー場まで皆 で行った事を、45年経った今でも鮮明に記憶しています。
時代と共に、ライオンズの事業が変化してきたのは当然です。黒部での青少年事業に限って言えば、今は2年に1度、薬物乱用防止教室等を行っている程度となりました。今後、当クラブを65年、70年、そして100年へと繋げていく中で、子供たちが笑顔で生き生きと過ごしている地域にこそ、輝く未来が待っています。
我々黒部ライオンズは、当地に「夢」と「希望」を与え続けられるクラブとして、今後も「記憶」に残る奉仕を提供していきます。

黒部ライオンズクラブの成り立ち

1956(昭和31)年4月、富山県下では初の国内では27番目の富山ライオンズクラブが産声を上げた。翌1957年3月には、後に黒部ライオンズクラブの創設を導くこととなる滑川ライオンズクラブが誕生した。
「やるまいか」を合言葉に滑川ライオンズクラブの初代会長藤谷玄雄氏は、同クラブのチャーターナイトに米屋喜一、堀川恒次郎(ともに歴代黒部商工会議所会頭)を招き、認証式典の熱気の中で地域の発展と社会貢献に結びつくライオンズ クラブをぜひ黒部地区にもと、創設を強く促した。
後に黒部ライオンズクラブの初代会長を務めることになる米屋は、「ライオンズは何か全く知らないで出席したが、用語は 英語が多く…… 黒部で結成することは容易ではないと感じた」が、「黒部、宇奈月両市町の発展のためになればと考えて、まず経済懇談を目的とした『黒部木曜会』を結成した」と、当時を回想して述べている。
この黒部木曜会が母体となり、黒部市と宇奈月町の経済人、産業人たちが討議を重ねるうちに、徐々に団体発足の機運が醸成されていった。そして、1961(昭和36)年1月、猛吹雪の中を開催された定例の木曜会において、当時の宇奈月町長・ 河内則一氏が「やるまいか」と一同を鼓舞し、設立に向けての舵が大きく切られたのである。
地域への周知やメンバー募集など、関係者の献身的な努力の結果、同年7月、「黒部ライオンズクラブ設立趣意書」、が発表された。黒部市長、宇奈月町長、黒部商工会議所会頭、地元有力企業の社長ら、錚々たる発起人が名を連ね、「世界につ ながる本クラブの誓いである、知性を高め』『友愛と寛容の精神を養い』『平和と自由を守り』『社会奉仕に精進する』の実践に努めたいと思います」と謳うその趣意書こそ、4年間の歳月をかけて目覚めた黒部ライオンズクラブから社会への最初の咆哮であった。


1956(昭和31)年4月、富山県下では初の国内では27番目の富山ライオンズクラブが産声を上げた。翌1957年3月には、後に黒部ライオンズクラブの創設を導くこととなる滑川ライオンズクラブが誕生した。
「やるまいか」を合言葉に滑川ライオンズクラブの初代会長藤谷玄雄氏は、同クラブのチャーターナイトに米屋喜一、堀川恒次郎(ともに歴代黒部商工会議所会頭)を招き、認証式典の熱気の中で地域の発展と社会貢献に結びつくライオンズ クラブをぜひ黒部地区にもと、創設を強く促した。
後に黒部ライオンズクラブの初代会長を務めることになる米屋は、「ライオンズは何か全く知らないで出席したが、用語は 英語が多く…… 黒部で結成することは容易ではないと感じた」が、「黒部、宇奈月両市町の発展のためになればと考えて、まず経済懇談を目的とした『黒部木曜会』を結成した」と、当時を回想して述べている。
この黒部木曜会が母体となり、黒部市と宇奈月町の経済人、産業人たちが討議を重ねるうちに、徐々に団体発足の機運が醸成されていった。そして、1961(昭和36)年1月、猛吹雪の中を開催された定例の木曜会において、当時の宇奈月町長・ 河内則一氏が「やるまいか」と一同を鼓舞し、設立に向けての舵が大きく切られたのである。
地域への周知やメンバー募集など、関係者の献身的な努力の結果、同年7月、「黒部ライオンズクラブ設立趣意書」、が発表された。黒部市長、宇奈月町長、黒部商工会議所会頭、地元有力企業の社長ら、錚々たる発起人が名を連ね、「世界につ ながる本クラブの誓いである、知性を高め』『友愛と寛容の精神を養い』『平和と自由を守り』『社会奉仕に精進する』の実践に努めたいと思います」と謳うその趣意書こそ、4年間の歳月をかけて目覚めた黒部ライオンズクラブから社会への最初の咆哮であった。

事務局

黒部ライオンズクラブ 事務局

〒938-0037
富山県黒部市新牧野103番地 ファーストビル内

TEL.0765-54-1026