黒部ライオンズクラブ

クラブの紹介

 

会長のメッセージ

黒部ライオンズクラブ 会長
黒部ライオンズクラブ 会長
L. 飯塚 龍志

 このたび、2025年度の黒部ライオンズクラブ会長を拝命いたしました。歴史ある本クラブのバトンを受け継ぎ、大きな責任とともに希望と誇りを感じております。どうぞ1年間、よろしくお願い申し上げます。

本年度のスローガンは、「温故知新 まだ見ぬ君に奉仕の心を届けよう」です。過去を知り、未来に学ぶ―その姿勢を大切にしながら、これまで培ってきたクラブの精神と伝統を大切にし、未来へつながる一歩をともに刻んでまいりましょう。

黒部ライオンズクラブは、地域に根ざした奉仕と連帯を通じ、多くの方々に支えられてきました。本年度は、「仲間の力」「家族の力」「地域の力」を活かすことを重視し、以下の取り組みを柱に活動を進めてまいります。

・クラブのビジョン共有を図る例会の実施と、会員同士の絆の強化
・会員のスキルを活かしたプレゼン例会の開催と相互理解の深化
・家族参加型の奉仕活動推進による、喜びの共有と地域とのつながりづくり
・若手や女性の活躍を後押しする新たな支部設立への挑戦
・スポーツ応援支部や能登支援などを通じた社会との協働
・LCIF活動の理解と共感を広げる取り組み

会員の皆さま一人ひとりの力が、このクラブの最大の財産です。どうか今年1年、皆さまとともに「まだ見ぬ誰か」のための奉仕を心を込めて積み重ねてまいりましょう。

どうぞよろしくお願いいたします。

 このたび、2025年度の黒部ライオンズクラブ会長を拝命いたしました。歴史ある本クラブのバトンを受け継ぎ、大きな責任とともに希望と誇りを感じております。どうぞ1年間、よろしくお願い申し上げます。

本年度のスローガンは、「温故知新 まだ見ぬ君に奉仕の心を届けよう」です。過去を知り、未来に学ぶ―その姿勢を大切にしながら、これまで培ってきたクラブの精神と伝統を大切にし、未来へつながる一歩をともに刻んでまいりましょう。

黒部ライオンズクラブは、地域に根ざした奉仕と連帯を通じ、多くの方々に支えられてきました。本年度は、「仲間の力」「家族の力」「地域の力」を活かすことを重視し、以下の取り組みを柱に活動を進めてまいります。

・クラブのビジョン共有を図る例会の実施と、会員同士の絆の強化
・会員のスキルを活かしたプレゼン例会の開催と相互理解の深化
・家族参加型の奉仕活動推進による、喜びの共有と地域とのつながりづくり
・若手や女性の活躍を後押しする新たな支部設立への挑戦
・スポーツ応援支部や能登支援などを通じた社会との協働
・LCIF活動の理解と共感を広げる取り組み

会員の皆さま一人ひとりの力が、このクラブの最大の財産です。どうか今年1年、皆さまとともに「まだ見ぬ誰か」のための奉仕を心を込めて積み重ねてまいりましょう。

どうぞよろしくお願いいたします。

黒部ライオンズクラブの成り立ち

1956(昭和31)年4月、富山県下では初の国内では27番目の富山ライオンズクラブが産声を上げた。翌1957年3月には、後に黒部ライオンズクラブの創設を導くこととなる滑川ライオンズクラブが誕生した。
「やるまいか」を合言葉に滑川ライオンズクラブの初代会長藤谷玄雄氏は、同クラブのチャーターナイトに米屋喜一、堀川恒次郎(ともに歴代黒部商工会議所会頭)を招き、認証式典の熱気の中で地域の発展と社会貢献に結びつくライオンズ クラブをぜひ黒部地区にもと、創設を強く促した。
後に黒部ライオンズクラブの初代会長を務めることになる米屋は、「ライオンズは何か全く知らないで出席したが、用語は 英語が多く…… 黒部で結成することは容易ではないと感じた」が、「黒部、宇奈月両市町の発展のためになればと考えて、まず経済懇談を目的とした『黒部木曜会』を結成した」と、当時を回想して述べている。
この黒部木曜会が母体となり、黒部市と宇奈月町の経済人、産業人たちが討議を重ねるうちに、徐々に団体発足の機運が醸成されていった。そして、1961(昭和36)年1月、猛吹雪の中を開催された定例の木曜会において、当時の宇奈月町長・ 河内則一氏が「やるまいか」と一同を鼓舞し、設立に向けての舵が大きく切られたのである。
地域への周知やメンバー募集など、関係者の献身的な努力の結果、同年7月、「黒部ライオンズクラブ設立趣意書」、が発表された。黒部市長、宇奈月町長、黒部商工会議所会頭、地元有力企業の社長ら、錚々たる発起人が名を連ね、「世界につ ながる本クラブの誓いである、知性を高め』『友愛と寛容の精神を養い』『平和と自由を守り』『社会奉仕に精進する』の実践に努めたいと思います」と謳うその趣意書こそ、4年間の歳月をかけて目覚めた黒部ライオンズクラブから社会への最初の咆哮であった。

1956(昭和31)年4月、富山県下では初の国内では27番目の富山ライオンズクラブが産声を上げた。翌1957年3月には、後に黒部ライオンズクラブの創設を導くこととなる滑川ライオンズクラブが誕生した。
「やるまいか」を合言葉に滑川ライオンズクラブの初代会長藤谷玄雄氏は、同クラブのチャーターナイトに米屋喜一、堀川恒次郎(ともに歴代黒部商工会議所会頭)を招き、認証式典の熱気の中で地域の発展と社会貢献に結びつくライオンズ クラブをぜひ黒部地区にもと、創設を強く促した。
後に黒部ライオンズクラブの初代会長を務めることになる米屋は、「ライオンズは何か全く知らないで出席したが、用語は 英語が多く…… 黒部で結成することは容易ではないと感じた」が、「黒部、宇奈月両市町の発展のためになればと考えて、まず経済懇談を目的とした『黒部木曜会』を結成した」と、当時を回想して述べている。
この黒部木曜会が母体となり、黒部市と宇奈月町の経済人、産業人たちが討議を重ねるうちに、徐々に団体発足の機運が醸成されていった。そして、1961(昭和36)年1月、猛吹雪の中を開催された定例の木曜会において、当時の宇奈月町長・ 河内則一氏が「やるまいか」と一同を鼓舞し、設立に向けての舵が大きく切られたのである。
地域への周知やメンバー募集など、関係者の献身的な努力の結果、同年7月、「黒部ライオンズクラブ設立趣意書」、が発表された。黒部市長、宇奈月町長、黒部商工会議所会頭、地元有力企業の社長ら、錚々たる発起人が名を連ね、「世界につ ながる本クラブの誓いである、知性を高め』『友愛と寛容の精神を養い』『平和と自由を守り』『社会奉仕に精進する』の実践に努めたいと思います」と謳うその趣意書こそ、4年間の歳月をかけて目覚めた黒部ライオンズクラブから社会への最初の咆哮であった。

事務局

黒部ライオンズクラブ 事務局

〒938-0037
富山県黒部市新牧野103番地 ファーストビル2F

TEL.0765-54-1026

FAX.0765-54-1560